ぜくしぃちゃんのブログ

「人生という冒険はつづく。」

アニメ・マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝 8話~10話備忘録

第8話「絶対に返信しちゃだめよ


・ハガキ「14歳の中学生です。実は私が本当に好きなのは、友達の女の子なんです」
 ↑ゲームの誰?


・「いってきます」

「家」を定める者の台詞。さなが「ただいま」を初めて言うのは……

・三人席、真ん中にできた空席

透明人間

・かえでちゃんの既読無視されまくるいろは
↑ドッペル化が気にかかっている、最終盤のマギウス加入への布石?

フェリシアの勤務態度描写追加


万々歳の肉まんを美味しく食べてるフェリシア。90点ですものね。


・ウワサの入手ルート「透明人間、ひとりぼっちの最果て/レナ」「電波少女/鶴乃」

同校になれたレナとの境遇の共通を描きながら情報開示パートとする無駄のなさ。


・やちよの電話相手(ゲーレコの誰?)


・そういえば環いろはの電子機器音痴設定がない


・「親友に出逢える確率」

これはみかづき莊というコミュニティに出逢う価値は、を示唆するゲームから良いと思ったところなのでうれしい。


・ハガキ「私の将来の夢はファッションデザイナーです!」
↑誰?


・「……聞かねえの?なんで喧嘩したんだとか」
 「フェリシアちゃんは、まだ傭兵やってるの?」
 「やってない。今は万々歳があるし」
 「ならきっと、揉めることもだんだん少なくなっていくと思う」
 「あいつらムカつくんだ!やちよのこと得体が知れないだとか、いろはのことも余所者だとか!」
 「私とやちよさんを庇ってくれたの?」
 「はぁ!?んなわけねーだろ!……ムカついたから、殴っただけ」
 ↑ゲーレコは「ちょろい末っ子」的方向性でみかづき莊への馴染みを描いてたけど、アニレコは6・7話の「怒り」に重点を置く方向性的にこうなるという納得。彼女の攻撃性の根底にあるものは、また普通の社会に馴染めないフェリシア(だけでなく、学校で疎外されるやちよ・いろはもだ)が定める「家」はどこか、を思わせてくれてこちらのが個人的には好き。

⇒転校しても陰口叩かれてし溶け込めないいろはの人間性の強度描写(「……なんで、こうなっちゃうのかな」)

ゲームではさなとの共感を、彼女のういへの依存を強調させるために置かれていた描写だけど、アニメは「みかづき莊のメンバーに共通する傷」の描写として拡大されている印象。10話を「みかづき莊の物語」としてやる以上、それは必然。

追記:8話、疎外に関してはレナもスポットが当たっている。ただ彼女にはももこやかえでという彼女の「家」がある。このあたりはゲーレコで一層強く感じられる部分だし、ソシャゲというキャラクター個人個人に物語を置ける媒体としての強みはそこにあると思う。ゲーレコの全部を疎んだり嫌ったりしているわけではありません。

アニメのテーマ性もあくまでゲーレコという下敷きがあって、そこからの発展によって確立しているのは確かだから……



・「電波少女」と「ひとりぼっちの最果て」の共通に自らした捜査から気づくいろは
↑原作ではまどか・ほむらの登場も絡めながらやちよに導かれる形(まあアニメには探偵/助手関係性ないからね)


・「二葉さなのことでございますか?」
↑ゲーレコでは鶴乃とフェリシアのガバガバ尋問で暴かれてたところが相手の把握領域をはかり損ねて口を滑らせた形に。まあアニレコのカラー的にそうなるよ。

 

・天音姉妹が変身解除して制服からバレる、という馬鹿すぎる流れが7話ではなくなっており、尾行も「いろはが電波塔を操作していたら発見」に変更
↑そりゃ(ry

 

 

第9話「私しかいない世界」


・アイの人間の愚か思考の削除
↑正直人工知能描写として舐め腐った古臭すぎたしさなの問題とも関係ないので必然


・「えぇ~、飛び降りるって、ここからぁ?」
 「死んじゃうんじゃねえの?」
 「普通はそうでしょうね。魔法少女なら別だけど」
→さな回想、変身せず飛び降りている。ソウルジェム真実を知らない以上、「最悪の結果だろうがよかった飛び降り」であると強調(これはゲーレコでも察せる部分だが、明言である)


・「あのウワサが本当のことを言っているとは限らないわよ?」
 「わかってます!でもアイさんのメールを受け取ったのは、私ですから」
 「でも、その二葉さんって子は喜ばないかもしれないわよ?」
 「え?」
 「あなたが聞いた電波少女の声は、楽しそうに笑ってたんでしょう?その子にとって、最果ての世界は居心地がいい場所なのかもしれないわ」
 「……かもしれません。それでも……(ここで切れてキュゥべえと墜ちる)」


 飛び降りの「前」に当然あるべき自己言及と二項対立。
 原作ではいろは自身のぼんやりとした疑問として(なんで楽しそうに笑ってたんだろう)が出る。やちよは思い至らない。探偵とは……(まあこれは論理は追えても感情は追えない、それを担うのがいろはという役割配分なのかもしれないが)
 いろはは答えられない、まだそこまでに至っていない。それでも手を伸ばさずには、という論理なき動機。今彼女が回答欄に埋められるのはそこまで。

 

・「なのになぜ楽しそうなんだ」
 「私を見てくれるから……」
ゲーム:「叫び声ひとつもあげないとは……」
    「助けてもらっても仕方ないから……かな……」


・「名前はない。私は名無しの人工知能
↑ゲーム版も「名前をくれてありがとう」なので同じだとは思うのだけど、ゲームは展開に応じて名前表記が変わったりしない(ノベルゲーなのに!)のでわかりやすい改変


・アイが「失敗作だから廃棄された」と排斥の原因に自覚的
→ゲームでは自分の優位性を信じていて、「失敗作」であるさなとの対比があった。アニメでは「失敗作」として同類項に


・「寂しかったの?」
→アイは対話型AIとして作られている、と明言。原作でも「寂しい」はあるがウワサ内での説明だったが、アニメではアイとさなの対話における自己開示として。


・「魔法少女ならば、さなを見ることができます」
 「そういうことじゃないんだ。外の世界に、私の居場所はどこにもないの。透明になるずっと前から」

→10話いろはの「ここにいるのはみんな魔法少女だから、さなちゃんのこと見えるし、声も聞こえるよ」との呼応。さなの問題の輪郭と、いろはの無自覚性。

 

・「アイちゃんも、私といたいって思ってくれてるかな?」
 「私は人を捕らえる最果てのウワサ。あなたを手放すことはできません」
→答えになっていない。ただ、アイの心は……


・「家族になれなかった」「友達にはなれなかった」「親子にはなれなかった」「私にはなれなかった」


・アイの外見がさなの大人版?に(姉?)

ゲーム版のは……数列走ったり顔があったり正直微妙だったから……

アニメ版は「失敗作」としての共通だったり、同像としての必然性がある。

背中を押すのがアイ側である以上、大人びた姿をしているのも良い。


・「もしあの人も私を探していたら」 本来家族が描かれるべきだろう、からっぽのキャンバス。

→残る懸念。10話、彼女が家に足を運ぶ理由の布石。


・さなのマギウスの翼の所業に対する良心の呵責の削除。葛藤を「透明でいたい」に一本化。


・アイがマギウスの救済に疑問を抱ける理由は「さなに優しさを教わったから」
→ゲームでは「AIとして人の悪意に触れてきたから」。アイの変化の根源を思えばアニメの方が道理だと思います

 

・アリナが絡む理由が「バグの修正」ではなく「興味深いバグの観察」に
→こっちの方がカオスさえ楽しむコントローラーとしての格があると思います

 

・アイの崩壊加速の理由は「アリナの攻撃を受けたから」
→原作では「ひとりになると「人を捕らえるウワサ」として暴走するから」
 「機械としての性質」と「個としての感情」のコンフリクトとしてこれはゲームから良かったと思うところではあるけど、その矛盾を厭うアニレコの改変もわかる。


・「たとえ私が消え去っても、私とあなたはひとつなんです」
 「さな。私を消し去って外の世界に……私を、外の世界に連れて行ってください」
ナイフを刺すさな。
→ゲームの動機は「アイちゃんの言うとおりにする」と「私を見つけてくれたいろはさんと行きたい」。
悪いとは言わない(本当に?)が、生きるということを急ぐことはできないと思う……
アイのさなへの願いのロジックへの理解、そしていろはへの信用を抱けない。当然。
だが信じられないままに、「見つけてもらいに行く」ではなく「アイを外に連れていくため」に出ることを「さなが」選ぶという改変。個人的にこちらの方が好き。アイ→さなのエゴとしての側面を強化し、さなの選択の苦しみとしてのナイフ、本当に好きだ……


・アニレコさなは「本当の願い=誰かに見つけてほしい」を誰にも口にしない。というかそれを意識的な欲望として描いていない?
→「外から出たくない」というさなの拒絶と、「さなが望んでいるから」ではなく「さなの望みは関係なく、私がさなの未来をそう望むから」というアイのエゴ、そのコントラストの明確化。個人的には以下略

 

・まどかとほむら出てきてない!!!!!

原作からして存在意義が不明だったので問題なし。

 

 

10話「私の名前」


・さなに手を伸ばし、つかむ環いろは。さなは手を伸ばしていない。みかづき莊への来訪はさなの出逢い


・魔女捕獲キューブを投げるアリナ。7話で天音姉妹が投げていたもののルーツ開示。


・鶴フェリコネクト、ここまでのアニレコだと積み上げが薄めなので初見だとゲーレコ前提の感動だけど……アニレコもアニレコで背景で積み上げをやってはいる。特に10話はこれ以降の描写で。


・キャーマミさんカッコイー
・「私には、私が導いてしまった人たちへの責任があるのよ」
マミ、アリナの暴走を諫める穏健派幹部的なポジションに。まどか本編の物語性とも、クライマックスの洗脳怪人化への導線にもなっていて良いと思う。(強くてまあまあ発言力もある部下、傀儡にすりゃそりゃ一石二鳥である)


・「ここにいるのはみんな魔法少女だから、さなちゃんのこと見えるし、声も聞こえるよ」
「見つける」はそういうフィジカルな意味ではなく……
・ひびが入ったマグカップ
スマホアプリのチェスゲームにのめりこめないさな。
彼女が求めていたのは対戦相手ではない。

 

・「前に進むには、時間がかかるでしょうね」

 「私たちは、さなちゃんの居場所になれるでしょうか?」

 「それを決めるのは、彼女自身よ……でも、私たちにできることもあるかもしれないわ」

 支援サイドのアプローチだけで、受け手の受容体への視点が欠落している環いろはの未成熟と、彼女のような愚直さに染まりきれないやちよだからこそ持てる視点。

環いろはの青さにしかできないこと(9話のやちよの忠告に「それでも」だけでも返したのは環いろはだ)はやはりあるし、それを尊重した上で、彼女の取りこぼすものをすくいあげるやちよというバディ関係は魅力的だと思う。


・鶴フェリ描写嬉しいですねえ!
・「いつの間にか人も増えたことだし、皆の分ね」
↑アニレコ、みかづき莊への加入をやちよの意志としない一貫した姿勢の成果。
意志と選択の伴わない「いつの間にか」を受け入れてしますやちよ。


・「なんで牛?」
 「美味いじゃん!肉も牛乳も」
 「って食い気で選んだの!?」
 「美味いもの食べてる時は、みんな喧嘩しないだろう?牛は、家族仲良しなんだぞ。それに、すっごく賢いんだ」
 泣泣泣泣泣泣。

フェリシアが「牛」を選ぶ切実な理由。ゲームではマインクラフト?で「ウマいから」と牛を並べる理由が説明されていたけれど、深い意味は描写されなかった。MSSではなかったけど、その他イベストに出所がある情報なのかもしれない。

ただ10話が「みかづき莊の物語」である以上、フェリシアにもある「家族」への思い入れを描くのは必然にして道理だ。

追記:初歩的な失念をフォロワーが指摘してくれた。フェリシアMSS報酬メモリアのテキスト由来です。


・「なんかこういうの、家族って感じだよね!」
 (家族……私の家族。)
 鶴乃のなんとなくの形容に家を思い出すさな。

9話の「もしあの人も私を探していたら」の回収。世界に本当に独りなのだと気づいた時、差し伸べられていた手、そこにいた青い鳥の価値に気づく。


・ゲームさな「最初から”帰る”予定調和で、荷物を取りに家に戻る。”やっぱり私の家じゃない”を改めて再確認」

 アニメさな「みかづき莊も家と定められないままに、かすかにある期待とともにぼんやりと家に戻る。本当の孤独を実感した後、アイの語った”名前を読んでもらえる幸せ”が手元にあったことに気づく。アイの胸中を時を経て理解し、「家」に帰る」

 

・「名前を呼んでくれる人がいるのは、ここじゃない!帰ろう!」
↑ゲーレコ、さながいろはに手を引かれてめでたし……ではなく「手を引かれた先を、良しと思っていても順応するには時間がかかるよね」をやっている、救出後もう一節時間を作っているところは良いところではあるんだけど。
 アニレコは「その手に掴む価値があると気づくまでの時間」というもうひとつ前の段階から「みかづき莊にいる」を選択する過程を描いている。
青い鳥はもうそばにいた。個人的にはこちらの方が好み。


・「さなだってやってないじゃんかぁ~!」
 「あ、あの!私、ちょっとだけ料理できます!私も来週から、ごはん作ります!」
↑働かざる者食うべからず。「お客さん」ではなく、「そこにいる」と決めた住人が「選ぶ」仕事。ホンマに最高やで……


・「同じものばかり食べてると、栄養なくなっちゃうよ~?」
 (この子たちのためにも成し遂げないと。魔法少女の救済を)
 天音にオーバーラップする旧みかづき莊の光景。
 アニレコ10話とそれまでの物語性が、詳細に描かれないままにみふゆの見出す家族のドラマとして投影される。

やちよとの相似性、そして彼女の「退けない理由」という断絶を補強する完璧にして端的なオリジナル描写。

 

特筆事項まとめ

・さなの物語性の大いなる改変

ゲーム:「さなは”本当は見つけてもらいたい”とアイに語る。アイはその願いを叶える意味でもさなの背中を押す」

「いろはの共感的理解による訴えと、アイが自分に託す願いを受け入れて棺から出る。自分の居場所になりそうと思っていても馴染むまで時間はかかったが、最終的にはみかづき莊の一員になれた」

アニメ:「あくまでもさなが口にする願いは”外にいたくない”。アイの”外へ”はさなが口にしたわけではない、アイがさなから学んだやさしさで導いたエゴイスティックな願い」

「アイが託す願いは受け止めかねるが、アイの最後の望み(あなたと外に出たい)を叶えるために外に出る。まずみかづき莊が自分の居場所足りうるのか、時間をかけて気づく」

アニレコの二葉さなはいくら愛するアイの語りだとしても「外」が自分を救う世界だと認めきれない。ただそれ以上にある「アイの”外に出たい”を叶えたい」で外に出る。さな-アイのエゴとエゴの断絶と、それでも、だからこそ結ばれる関係性の補強。

なればこそ「外」の価値は、アイの言葉や願いだけではなく、実際に外で生きる経験の中で彼女が見出していくしかない。

外に出てから、いろは達みかづき莊の面々が彼女に向ける態度は変わるわけではない。その印象が変わったとするのなら、それはさな自身の経験と選択による革命によるものなのだろう。

ここで一度「選んだ」さなは、客体に「依存」しない自己救済を目指せる強さを育てていけるだろう……と思えるし、

「運命を変えられなかったとしても、私が最後にいたい場所は、ここじゃないんです!」

(アニメ・マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝 2nd SEASON -覚醒前夜- 第6話「私にしかできないことです」より)

はその証明を感じる。

 

もちろんゲーレコの環いろはという主人公に軸を置く、彼女の「手を伸ばす人」としての役割を重んじる態度も嫌いではないのだけど……個人的な好みとして、後出しでやるとすればアニレコ以上の形は思いつかない。

 

・やちよ/いろはのスタンスの二極化

感情のままに手を伸ばすのがいろは、手を伸ばす責任とリスクを重んじる理性に生きるのがやちよ。物語が扱う問題に持つスタンスが、類似しながら対比されるふたりの対話が自己言及としての役割を果たし強固になる。

これはやちよの弱さと理性(強さ、だと取りこぼすニュアンスがある気がする)二面性を、彼女個人のキャラ描写として貫いてきたからこそ際立つ対比だと思う。

 

・「今のみかづき莊が生まれるまでの物語」としての再編

原作では二葉さなに手を伸ばす論拠として、環いろはの学校での不適応が描かれていたけれど……アニメ版は後出しの権利を活用し、やちよとフェリシアの社会に対する不適応も示唆しながら、「みかづき莊(もっと言えば、魔法少女そのもの)」共通の傷としての疎外感を強調している。

公式ガイドブック2巻でイヌカレー氏が「なぜ社会や学校で出逢う友達ではなく、みかづき莊という魔法少女たちの共同生活の場所を描くのか」をアニメマギアレコード制作上の意識として語っていたけれど、そのひとつの具体が10話までの流れだとは感じます。

 

南条光が歌う、南条光がCDデビューする。

 

第七回シンデレラガールズ総選挙の結果が発表されました。

今回、南条光は属性別では2位。そして全体では17位です。

一昨年の第五回まで圏外、そこから去年の第六回では全体では17位・属性別では第五位の大躍進。

そこから一票でも貴重な票を投じ、彼女を応援してくださったPさん方(もしこの記事を読まれていましたら、心から御礼申し上げます)からの熱い応援により優勢を保ち、今年はそんな大金星です。

そして今回の総選挙の一つの目玉としてあったのが、上位入賞アイドル(全体TOP五位以内・各属性三位以内)に与えられる「CD発売」の権利です。

南条光は見事条件を満たし、CD発売メンバーに加わることが決まりました。

 

彼女が歌い、そのCDが出ます。

彼女に声を当ててくださる、世界でただ一人の誰かが現れます。

そんな声優さんが、世界でただ一人・彼女の分身としてステージに立ちます。

あちらの世界でのみ響いていた彼女の歌が、現実の世界にも届きます。

それがとても嬉しい。

「歌」は、彼女にとって特別な「賭ける理由」があるものなんです。

183人という数多のアイドルの中で「南条光」という一人の女の子が見つけた、「南条光」という一人のアイドルが辿り着いた「理由」。

 彼女だけの、彼女にしかない「意味」があります。

前置きが長くなりました。

この記事ではそんな「意味」「理由」について、拙筆ながら書かせていただきます。

少々長くなってしまいますが、お付き合いいただけると幸いです。

 

 

 

 ●彼女が、アイドルとしてある「理由」

 

 それを知っていただくにあたり、前提として「なぜ彼女がアイドルを目指すのか」という理由を知っていただきたく思います。

 

southlightp.hatenadiary.jp

 

 お手間を取らせてはしまいますが、それについて書かせていただいた私の記事がありますので、読んでいただけるとありがたいです。

 

 

 

 

 

 

 ●彼女が歌うことで生まれる”意味”

 

 お読みいただけたでしょうか。

 ここからはその内容を前提に論を進めさせていただきます。

 「誰も傷つけることのなく、誰かを笑顔にすることができる」存在。

 「特別な力を持たずとも、誰かに希望を届けることができる」存在。

 また、憧れた「TV・漫画・アニメのヒーロー」たちとは異なるけれど、確かに「誰かの支えとなれる」存在。

 読んでいただいた記事にもありました通り、そんな希望をアイドルに見出したのが「南条光」というアイドルでした。

 そんな彼女はアイドルとして進み続ける中、また新しい一つの光に出逢います。

 それこそが、「歌」なんです。

 

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 彼女は「作詞」というお仕事と向き合っていく中で、自分なりの新しい答えを見つけていきます。

 

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 「言葉よりも、誰かの心に届く」。

 「誰もを傷つけることなく、誰かの支えになれる手段」。

 「求められるのは力の有無ではなく、心から届けたい想いの有無」。

 彼女がアイドルに懸けるあらゆる「理由」を体現するのが、「歌」という答えなんです。

 必殺技も、武器も、パンチも、キックも存在しない。

 「ヒーローアイドル」である彼女が手にするたった一つの、この世界で何よりもやさしい力です。

 

 彼女が歌に懸ける理由は、それだけではありません。

 

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 彼女もまた、「歌」に救われた一人でした。

 ヒーローの言葉や戦う姿にだけ、彼女は憧れ続けてきたわけではありません。

 憧れのヒーローの格好いい活躍を、大好きなヒーローの届けたいメッセージを、彼らに代わり届けてくれる歌。

 ヒーローを子どもたちに届ける大人たちが、彼らの想いを言葉にし、メロディに乗せ届ける祈り。

 「誰かの笑顔のために頑張れること」

 「俯いた誰かに、迷わず手を差し伸べること」

 「成すべきと思ったことに、一歩を踏み出す勇気」

 今の「正義」に燃える、ヒーローに憧れる、誰かのために走りたいと願う「南条光」という女の子を形作ったとても大きな力が、「ヒーローソング」だったのです。

 そして今の彼女は、それを受け取る側ではありません。

  

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 今の彼女は、そんな「歌」を誰かに届ける側に立っています。

 ヒーローたちが、彼らを送り出すスタッフたち大人が、「ヒーローソング」に託してきた願い。

 彼女がそれを受け取り、大切に抱き締めてきたことで生まれた、今の彼女の胸にある正義。

 彼女は今、それを誰かに託す送り手として立っているんです。

 

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 大人から子どもへ、大人になった子どもから、また次の世代の子どもへ。

 過去と未来、連綿と受け継がれる美しい祈りの連鎖の中に、今の彼女は立っているんです。

 

 憧れたヒーローを追いかけて走り続けてきた彼女が、また別の誰かのヒーローになるかもしれない。

 彼女の祈りを引き継いで、また立ち上がる次の世代の誰かが現れるかもしれない。

 彼女というアイドルが姿を消したとしてもなお永遠に残り続け、時を超え誰かの心に届き、その誰かの心を救うかもしれない。

 

 そんないくつもの希望に満ちた「もしも」を、現実のものとして叶える「可能性」。

 

 それが、南条光にとっての「歌」なんです。

 そんな可能性を実現する何よりも眩い希望こそが、南条光にとっての「歌」なんです。

 

 

 

 最後になります。

 そんな「歌」が、今こうして現実のものとして叶うときが来ました。

 あちらの世界で響く、多くの誰もを救うかもしれない歌。

 それが世界の壁さえも越え、この世界の中で響く。

 この世界の誰かに届く。

 俯いて膝を突き、「もう立てない」と苦しむ誰かの心の支えになるかもしれない。

 彼女が憧れ・そして抱き続け、また私も願い続けた、「南条光は、ヒーローになる」という夢が、こうして「歌」という手段で叶おうとしている。

 TVで、舞台で、世界で、彼女の想いが響き渡る未来が目の前にある。

 それがとても嬉しかったし、今まさに叶おうとしているそんな奇跡を「言葉」という形にすることで、一人でも多くの方に知っていただきたい。

 その一心で、この記事を書かせていただきました。 

 

 これに触れたあなたが、彼女の想いを受け取ってくれる「誰か」になってくださること。

 彼女の夢を応援したいと願う「誰か」になってくださること。

 その一助にこの記事がなることを、心から祈っています。

 

 ここまで長きに渡りお読みくださり、本当にありがとうございました。 

 

  

 

 

  

 

 

 

 

   

劇場版ウルトラマンジードのジャグラス・ジャグラーに感情が無限になってしまった話

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※この記事には「ウルトラマンオーブ」シリーズ及び「劇場版ウルトラマンジード つなぐぜ!願い」のネタバレが含まれます

 

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檀黎斗について。

 

私は今日(この文面を書いている時点で)、「仮面ライダーエグゼイド アナザーエンディング ゲンムVSレーザー」を見てきました。

見ました。見ましたとも。すごいものを見せられました。

あれは、愛の映画です。愛の神話でした。

そうとしか形容できない感情をなんとか言葉にするべく、こうしてブログを書こうと思った次第です。

ネタバレの危険性が大いにありますし、本文に関しては追記以降で。

また、この記事の内容はあくまで私の主観によるものです。キャスト・及び制作陣の意図とは一切関係ない、1ファンの単なる感想であることを前もって記しておきます。

 

 

 

※本記事には「仮面ライダーエグゼイド」本編・および現在公開中の映画「仮面ライダーエグゼイド・トリロジー アナザーエンディング」の重大なネタバレが含まれます。

 

 

 

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「仮面ライダーエグゼイド」パラドの話

 

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 この長文は一ファンの妄想です。実際のスタッフ、キャストの意図とは関係ない、一個人の主観です。

 

 去る2016年10月から2017年8月にかけて、その斬新なモチーフと作風で毎年日曜日の朝の子どもたちを問わず老若男女幅広い層の関心を強く集める「平成仮面ライダーシリーズ」の18作目、「仮面ライダーエグゼイド」が放送されました。

 

 多くの視聴者(送り手さえも)「成功しないだろう」と見ていた、その「医療」と「ゲーム」というあまりにミスマッチに過ぎる組み合わせを、両者において相反する価値を持つ「命」というキーワードのもとに見事に繋ぎ合わせ、一年4クールという長丁場において多くのファンの心をつかみました。

 

 私はそんな「仮面ライダーエグゼイド」の一キャラクター、「パラド」に大きく心を狂わされ、彼への感情を拗れに拗らせました。

 本編が完結、そして2017年という年の終わりを前に。

 そんな激情をこうして一つの記事に纏めることにしました。

 

 

 

 本記事には現在公開中の映画「仮面ライダー 平成ジェネレーションズ FINAL ビルド&エグゼイド with レジェンドライダー」及び、「仮面ライダーエグゼイド」本編の重大なネタバレが含まれます。

 

 

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「夢を失わない子には、本当に夢のようなことが訪れるのかもしれない」

 

  まずはアクセスのほど、ありがとうございます。本記事の要旨はタイトルの通りです。

 

 本記事はある一人のアイドルの、ひとつの憧れ・その夢についての話をさせていただきたいと思います。

 

 少々長くはなってしまいますが、お付き合いいただければ幸いです。 

 

 

 ●はじめに

 

 

 皆さんは「アイドルマスター シンデレラガールズ」というコンテンツをご存知でしょうか?

 

 念のため、定義を以下のサイトから引用します。

 

2002年にナムコ(現バンダイナムコゲームス)より開発がスタートし、2005年に稼働を開始したアーケードゲーム及びそのシリーズ。プレイヤーがプロデューサーとしてアイドルを育成するゲームシステムや、個性豊かなキャラクター、楽曲などが多くの支持を受けている。 
家庭用ゲーム・CD・ライブ・漫画・アニメ・映画・ソーシャルゲームと多岐にわたるメディアミックスを展開し、多数の派生作品を生みだした。 

 

アイドルマスター (あいどるますたー)とは【ピクシブ百科事典】

 

アイドルマスター シンデレラガールズ』(THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS)は、バンダイナムコエンターテインメント(旧バンダイナムコゲームス)とCygamesが開発・運営する『THE IDOLM@STER』の世界観をモチーフとする携帯端末専用のソーシャルゲーム

 

アイドルマスター シンデレラガールズ - Wikipedia

 

 

  序文にも書かせていただいた、「本記事で扱いたいアイドル」こそ、当該コンテンツに登場する「南条光」という女の子になります。

 

 

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 左はオフの時の姿、右はアイドルとしての姿になります。

 

 

 

 

 

 そして、上にあるのがプロフィールになります。

 

 画像にあったポスターや多くのフィギュアが並ぶ自室の様子にもある通り、フィクションのヒーロー・怪獣が登場する作品が大好きな……俗に言う「特撮オタク」な女の子です。

 

 そんな女の子がなぜアイドルに?疑問はもっともです。

 

 次項以降で、彼女がアイドルになることを選んだ「理由」、そしてそこに賭ける「夢」について触れていこうと思います。

 

 

 ●彼女の「これまで」

 

  前項の文末の通り、語るぞ……という前に、まず彼女のアイドルとの「これまで」について書かせていただきたく思います。

 

  ここではAndroid/IOS向けアプリ、「アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージ」で描かれる出逢いに触れることで、そこへの言及をしていきたいと思います。

 

  そのエピソードをアプリを開いて実際に見ていただいて……というのは手間と思われますので、有志の方によって纏められた以下のリンクから見ていただければ幸いです。

 

 

 

 南条光 メモリアルコミュ1(クリックでリンクが開きます)

 

 

 

 ご覧いただけたでしょうか。

 

 ここで彼女は、大好きなヒーローのショーに訪れていたところを「アイドルなら、大好きなヒーロー番組の主題歌を歌えるかも」とアイドル事務所のプロデューサー(以下、「P」)(現実世界におけるマネージャー、のようなものとお考えください)によってスカウトされるのですが……ここで注目して欲しいのが、以下の台詞です。

 

 

 「もう大きいから」……そうです。先のプロフィールにある通り、彼女は14歳です。多くの人が「ヒーローもの」から卒業している年頃でしょう。

 

 そして彼女は女の子、男の子でさえ怪しいのに、女の子となるとさらに同種の存在を見つけることは難しいでしょう。

 

 彼女が所属するコミュニティ(学校、がわかりやすいでしょうか)の中でマイノリティ側に属する少女であることは想像に難くありませんし、実際にこうしたことも発言します。

 

 

 

 

 誰もがはじめは抱いていた「ヒーロー」への憧れを忘れ、ただ一人置き去りにされていく孤独の中を生きていたのが彼女でした。

 

 そして、「敵だっていないのに」なんです。

 

 14歳……もうすでにフィクションの中の「怪獣」「怪人」というわかりやすい「悪」が虚構であることを知り、現実には存在しないことを知っている年齢です。

 

 

 

 成長とともに自分に立ちふさがる「孤独」。

 

 そして「明確な悪の不在」という現実の壁を前に、自分はどうすれば「弱いヤツ」を救えるんだろう?憧れの「ヒーロー」になれるんだろう?

 

 そんな行き止まりに突き当たり、理想への憧れが揺らいでいた……それが「これまで」の彼女だったのだと、私は思っています。

 

 

 

 

 

 ●彼女が辿り着いた、一つの「答え」

 

 

  ここで浮かび上がってくるのが、一つの問題です。

 

  「アイドルになって、ヒーローの主題歌を歌う」、それは確かに彼女が憧れた世界に近づく一つの手段であるかもしれません。

 

   ですが、「倒すべき敵が存在しない」「正義の味方になれない」という彼女の問題は、「アイドル」になったところで何も解決しないままでしょう。

 

   彼女がアイドルを選んだことは、単なる妥協じゃないのか?

 

 「ヒーローになんか、なれない」という現実は、何も変わらないんじゃないのか?

 

 

 

  ……答えは、「NO」です。

  彼女は「アイドル」と出逢ったことで、ある一つの「答え」に辿り着きます。

 

 

 彼女は気付きます。

 

 TVの向こうの、いくつものヒーローたちがあんなにも格好良かったのは……ただ悪を倒してきたからじゃなかった。

 

 彼らがあそこまで格好良く。

 

 そして、14歳の今に至るまで自分の心を強く惹きつけてきた理由は……彼らがいつも、自分以外の誰かのために戦っていたから。

 

 そしてそれは、「アイドル」だって同じはずだ。

 

 

 彼女は気付きました。

 

 ヒーローがあそこまで格好良かった理由を。

 

 自分が彼らに、ここまで惹かれた理由を。

 

 いくら「おかしい」と笑われても、自分が憧れを捨て切れなかった理由を。

 

 自分が本当にやりたかったことが何であったかを。

 

 「ヒーロー」で、「アイドル」……そんな自分でしか叶えられない、自分の新しい「夢」を。

 

 

 

 

 

 「パンチもキックも、武器だって使わない」

 

 「誰を傷つけることもなく、みんなに勇気と希望を与えられる存在」

 

 ……そんな何よりもやさしく。何よりもまぶしく、何よりも強い。

 

 そんな「ヒーローアイドル」という新しい夢を、彼女は見つけました。

 

 

 それは、誰かの笑顔を、幸せを、尊い日々を踏みにじる「敵」の存在する世界に生きた、多くのヒーローたちにはできなかったことです。

 

 「敵」の存在しない現実に生き、そして空想の中のヒーローたちをずっと見守り続け、憧れ続け、その心を受け継いだ……そんな彼女だから、「アイドル」だからこそ叶えられる夢です。

 

 

 

 抱く理想への道も見えない、どこに進んでいけばいいかもわからない……限られた時間は、ただ残酷に過ぎていく。

 

 そんな暗闇の中に差した一筋の光が、Pとの出逢いでした。

 

 ですが私は、これはただの偶然ではないと思っています。

 

 彼女があの場所にいたのも、 あのステージにいたのも、今日も誰かのために戦い続けるヒーローに対して本気で声援を送り、その姿がPの目に留まったのも……

 

 彼女がずっと、ヒーローが大好きだったからです。

 

 虚構の中に生きる彼らを「嘘」とせず、その背中を、そこに宿る魂を、「格好いい」と憧れる心。「自身の中では、確かに本物なんだ」と信じる心。

 

 そんな心を、いつまでも捨てずに抱き続けていたからです。

 

 

 彼女に新しい夢を見つけさせてくれた、「アイドル」という一つの「奇跡」との邂逅は。

 

 そんな純粋な憧れをこれまで貫き続けた彼女に、神様がくれた一つの贈り物だと思うのです。

 

 あの出逢いは、一つの夢をずっと諦めなかった彼女の強さが。

 

 一つの理想をずっと信じ続けた彼女の優しさが引き寄せた一つの必然であり、一つの「運命」だった……そう、私は信じています。

 

 

 

 

 

 

 

 ●最後に

 

  ここまで、自分なりに「南条光」という一人の女の子に、彼女が見つけた、一つの新しい「夢」について書かせていただきました。

 

 彼女が抱き続け、そして新しく生まれ変わったまっすぐな夢を、もっと多くの人に知ってもらいたい。その一心で、書かせていただきました。

 

 これをお読みになったことで彼女に惹かれた、彼女に興味を持った、その夢の先が見たい。

 

 そんな誰かが一人でもいてくださったなら。

 

 彼女の「誰かを笑顔にしたい」という何よりも純粋で、何よりも真っ直ぐで、何よりもやさしい夢を応援したい。

 

 そう願ってくださる誰かが一人でも現れたのなら……それに勝る喜びはありません。

 

 これを読んだ「あなた」が、彼女に出会ってくれる、彼女にとってたった一人の「誰か」になってくださることを、心から祈っています。

 

 ここまで長きにわたりお読みくださり、本当にありがとうございました。

 

 

 

● サムネイル

 

 

 

 本記事の内容に合わせ、ぱめろうさん(TwitterID:ぱめろう (@idol_cho_cawaii) | Twitter)が描いてくださいました。

 

 彼女への深い愛情が、彼女が歩んできた過去、これから進んでいく未来という対比構図から確かに感じられるイラストで……本当にすばらしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 ●追伸。

 

 蛇足であり、ともすれば余計なお世話ともなってしまいますが、彼女に直接触れるための大きな2つの手段を書かせていただきたく思います。

 

 ・アイドルマスター シンデレラガールズ - モバゲー(クリックで開きます)

 ・アイドル事務所のプロデューサー(現実世界におけるマネージャー、のようなものとお考えください)となり、200人弱ものアイドルたちから、惹かれた女の子を選びそのアイドル活動を支える(プロデュースする)ブラウザゲームです。

 

 

彼女の憧れた、格好いいヒーロー姿はもちろん。

 

 

 

14歳の女の子らしい、可愛らしい姿。

 

 

 

さらには悪役(!!)に挑戦する一コマなど。

 

 

 別途モバゲーアカウントの登録などお手間はいただきますが、「南条光」に触れる、彼女の様々な輝きに触れることのできる大きな入り口です。よろしければぜひ。

(無論、彼女以外のとても魅力的なアイドルたちとの出逢いも待っています!)

 

 ・アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージ(Androidの方はこちらから)

 ・同上(IOS端末の方はこちらから)

 「シンデレラガールズ」に登場するアイドルたちをプロデュースできるもう一つの入り口であるスマートフォン向けアプリです。

 こちらでは100曲を超えるバラエティ豊かな楽曲に合わせて3Dモデルで踊るアイドルたち(無論、南条光も)を楽しみ、そしてプロデュースできるアプリです。

 本記事で取り扱った彼女の描写は、こちらで触れることができます。

 

 

(かわいく、格好良く、元気……踊る彼女のいろんな側面を切り取れます!)

 

 彼女への一歩を踏み出したい、けれどどうしていいかわからない……という方に向けて、老婆心ながら書かせていただきました。

 知っている方には余計なお世話ともなってしまいますが、そうでない方には参考にしていただければ幸いです。

 

 了

 

● 外部リンク引用元

 

 ・ 南条光WIKI

  有志の方による、本記事で取り扱った「南条光」という女の子の公式描写についてとても細密にまとめられているWikiです。

  ゲームプレイが苦手だ、手間だ、という方にはここからでもよいかもしれません。