「仮面ライダーエグゼイド」パラドの話
この長文は一ファンの妄想です。実際のスタッフ、キャストの意図とは関係ない、一個人の主観です。
去る2016年10月から2017年8月にかけて、その斬新なモチーフと作風で毎年日曜日の朝の子どもたちを問わず老若男女幅広い層の関心を強く集める「平成仮面ライダーシリーズ」の18作目、「仮面ライダーエグゼイド」が放送されました。
多くの視聴者(送り手さえも)「成功しないだろう」と見ていた、その「医療」と「ゲーム」というあまりにミスマッチに過ぎる組み合わせを、両者において相反する価値を持つ「命」というキーワードのもとに見事に繋ぎ合わせ、一年4クールという長丁場において多くのファンの心をつかみました。
私はそんな「仮面ライダーエグゼイド」の一キャラクター、「パラド」に大きく心を狂わされ、彼への感情を拗れに拗らせました。
本編が完結、そして2017年という年の終わりを前に。
そんな激情をこうして一つの記事に纏めることにしました。
本記事には現在公開中の映画「仮面ライダー 平成ジェネレーションズ FINAL ビルド&エグゼイド with レジェンドライダー」及び、「仮面ライダーエグゼイド」本編の重大なネタバレが含まれます。
私は、劇中で「パラド」というキャラクターを突き動かしていたものとして、大きく二つの理由があると考えています。
一つはバグスターの「人間に駆除されるだけの存在」という運命への抵抗。
もう一つは、「永夢の願いを叶える」という願望です。
彼は主人公・宝生永夢が幼い頃に抱いた「一緒に遊んでくれる相手が欲しい」という願いから生まれた存在でした。
ここで、「アタッチメント」という心理学用語を持ち出して論を進めたいと思います。
愛着理論(あいちゃくりろん、Attachment theory )は、心理学、進化学、生態学における概念であり、人と人との親密さを表現しようとする愛着行動についての理論である。子供は社会的、精神的発達を正常に行うために、少なくとも一人の養育者と親密な関係を維持しなければならず、それが無ければ、子供は社会的、心理学的な問題を抱えるようになる。愛着理論は、心理学者であり精神分析学者でもあるジョン・ボウルビィによって確立された。
詳細が気になる方はリンクを見る・関連書を読むなどしていただければと思いますが、噛み砕いて言えば「幼児と親の間に生まれる愛情の初期段階関係(=愛着関係)」 を考える理論です。
この理論では、幼児は自身のあらゆる粗相といった失敗、愛情を求めたあらゆる行動を親という「人生で最初に触れる他者」に受け入れてもらうことで、「自分には受け入れてもらえる場所がある」「自分は他者に必要とされうる」という確かな安心を得ます。
またその安心に基づき、子どもはその後の人生において安定した他者との関係を構築できると考えられています。
ところで大人には、「仕事」という役割/責任において「自身を必要とされる」という生への実感、生きる意味を見出す手段があります。
対して子どもは、その責任を負いません。そんな子どもが「自身は必要とされている」という実感を得るために必要なのが、親の愛情なのです。
しかし裏を返せば、その関係を築けなかった子どもは「この世界にいてもよい」という実感を得られません。
愛されなかった子ども、必要とされなかった子どもは、この世界に生きる意味を見出せない存在。
誰にも望まれない、自分という存在が不確かな、「透明な存在」になってしまうのです。
これを彼の生い立ちに当てはめて考えてみましょう。
パラドは「天才ゲーマーM」の活躍を知った檀黎斗が、「宝生永夢の中では、自身が感染させたバグスターウイルスが成長している」という確信を得た後、ネクストゲノム研究所所長・財前の手術によって分離させたことで生まれました。
そして宝生永夢から分離した彼は、本編一話の時点まで檀黎斗と行動を共にしていました。(外伝「スナイプ」などの描写を考える限り)
そして彼はバグスターです。
ゲームで倒されるために存在する敵キャラであり、人の命を脅かすウイルスです。
ウイルスの運命は、人間に駆除されることです。
ここから考えられるのが、彼は親の愛を知らずに育ってしまった孤児であり、世界から望まれない命だったということです。
彼は自身を生み出した存在、世界で最初に触れる他者である親の愛情を知りませんでした。
世界に自分が存在してよい、という存在肯定を与えられませんでした。
そして、それどころか世界は自身を否定しました。
敵キャラとして永遠に敵視され続けるという運命を背負って、彼は生まれました。
「一緒に遊べる友達」という存在理由を果たせば、自分は自分を生み出した存在(=親)である宝生永夢に必要とされるはず。
敵視する人間に打ち勝てば、自身らを否定するこの世界を変えられるはず。
彼が完成させようとした仮面ライダークロニクルは、欠けていた愛情、自身の存在理由を勝ち取るための手段。
「世界に否定され続ける」という「運命」に抗い、「誕生した理由」という「運命」を実現するという矛盾した、その名の通りパラドクスな冀望を満たすための手段。
世界から必要とされず、忘れ去られていく孤児=透明な存在だった彼が、この世界で生きていくための「生存戦略」だったのです。
そんな彼に決定的なターニングポイントが訪れるのが、「運命のReboot!」です。
39話のラスト、消滅されたと思われたものの永夢に取り込まれて生きていたパラドは、永夢とポッピーに諭される中で、ラブリカが「死んだ」際に感じていた感情の正体を、「命」の意味を再考しはじめます。
人間が「死」への恐怖、「命」の価値を重いものとして捉えるのは、まず自身が終わりある命を背負う存在であり、また自身が尊いと願う対象(人間であろうと、他の命)も同じ運命を持ち、その喪失への恐怖があるからです。
それを体験することはないとしても、人は自身を育む親、命としての先達である親からそれを学ぶことができます。
……が、パラドにはそのどれもがありませんでした。
親の愛を知らずに育ち、自身も・親しいと思える相手もバグスターという不死の命ゆえ消失の恐怖はなく、彼はそれを理解できるはずもなかったのです。
そんな彼が本来的にその意味を体感するための手段としてとらなければなかったのが、あの「死」の疑似体験でした。
たとえ残酷な手段だとしても、彼がそれを理解するために背負わなければならなかった痛みでした。
また、彼があそこまで「心」を言葉の中に織り込んでいた理由は、「永夢にあこがれていたから」ということが明かされます。
それは誰にも愛されず、「透明」なまま終わるしかなかった運命への抵抗であり、彼の「心」というアイデンティティへの渇望だったのです。
そんな自身の「心」を苛んできた感情の正体が「恐怖」であったこと、自身が今まで犯してきた罪の重みを理解した彼に、宝生永夢は手を差し伸べます。
「お前を生んだ僕には、お前と向き合っていく責任がある」
「お前の罪を一緒に背負って、償っていく」
どんな罪を背負った存在であろうと、その存在を受け入れるという受容。
その罪も、待ち受ける罰という運命さえも共に背負い、その存在を肯定する。
それは宝生永夢からパラドへの、痛みを伴いながら差し伸べられた愛であり。
それは彼がずっと求め続けてきた、世界に存在してよいという承認・救済でした。
愛という果実を分け与えられたことで、透明なまま消えていくという彼の運命は変わったのです。
永夢に受け入れられたことで彼は、人と共に歩む道を選びました。
そんな彼の決断が描かれるのが、44話「最後のSmile!」です。
人の命を脅かすゲムデウスの活動を抑制するため、彼は自身の命を投げ出します。
「これで少しは……償えたか……」
「短い間だったけど、お前とゲームできて……最高に楽しかったぜ」
『仮面ライダーエグゼイド』44話「最後のSmile!」
彼は、笑って消えていきます。
あんなに恐ろしかった死を受け入れて、安らかに消えていきます。
それはなぜか?それは、彼は自分がもう「透明」でないことを知っていたからです。
「バグスターはプレイヤーを楽しませてくれる……僕たちに笑顔をくれる存在でもあるじゃないか」
『仮面ライダーエグゼイド』同話
「死」が恐ろしかったのは、自分が誰にも求められないまま、望まれないまま消えていくことが恐ろしかったから。
けれど、自分は誰かに必要とされる存在であったこと。
自分を選んでくれる誰かがいたこと。
自分が世界にいたことを、覚えていてくれる誰かがいることを、彼は既に知っていたのです。
彼は、そんな掛け替えのない宝物を手に入れていたのです。
自身の命を擲っても、誰かの幸福を願うことができる……それほどまでの、ほんとうのさいわいを手に入れていたのです。
そんな彼にとって死という罰・そして存在の終焉という結末さえも、恐れるものではなかった……そう、私は思っています。
そして次回・最終回、彼に奇跡が訪れました。
消滅したかに見えた彼は、永夢の中で培養されその命を永らえていました。
「頼りにしてるよ、パラド」
「……ああ!」
「これって新しいガシャット!?」
「心が躍るな……これからはみんなで遊ぼうぜ!」
『仮面ライダーエグゼイド』45話「終わりなきGAME」
自身を受け入れてくれた唯一無二の存在と共に歩み。
「永夢と遊ぶ」という自身の運命も乗り越え、今度は「みんな」と遊べる存在になる……そんな彼の前途ある未来が描かれた最終回でした。
それがより確かなものとして描かれたのが、「劇場版仮面ライダーエグゼイド トゥルーエンディング」・現在公開中の映画「平成ジェネレーションFINAL」です。
前者のラストで永夢と絶たれてしまった彼が、一人でもあがき彼への再会を、失われた彼の力を取り戻すまでの奮闘が描かれました。
劇中で彼は、行動を共にした「仮面ライダービルド」の主人公である桐生戦兎に、こんな言葉をかけられます。
「帰る場所があるってのは……いいもんだな」
「仮面ライダー 平成ジェネレーションズ FINAL ビルド&エグゼイド with レジェンドライダー」
そして、宝生永夢と無事再会したラスト。
「おかえり」
「ただいま」
「仮面ライダー 平成ジェネレーションズ FINAL ビルド&エグゼイド with レジェンドライダー」
彼はずっと、帰るべき場所を探していた迷子でした。
そんな彼が大きな罪を犯し、そこに待ち受ける罰を受け入れ、自分の居場所にたどり着くまでの物語。
透明な存在のまま消えていくだけだった運命を乗り越えて、自分を必要としてくれる・愛してくれる誰かを見つけるまでの物語。
仮面ライダーエグゼイドはドクターたちの物語でもありましたが……
パラドという一つの命が、自身を暖かく迎え入れてくれる居場所、そこに満ちる愛というしあわせを見つけるまでの物語でもあったのだと、私は思っています。
彼が、他でもない「自分」が主人公である、彼だけの物語を描いていく未来。
その身に背負った罪や罰という痛みさえも、手に入れた「ほんとうのさいわい」に
至るために必要な運命だったのだと 抱きしめて歩んでいく未来。
彼の命に待つ最高に心の躍る未来に祈りを捧げ、この文章を終わりたいと思います。
* * *
最後に、彼が好きな方は小説「銀河鉄道の夜」、またアニメ『輪るピングドラム』の「こどもブロイラー」と出逢っていただけるとうれしいです。
前者は命を擲つという痛みの先にある、「ほんとうのしあわせ」を描く物語。
後者は愛を知らなかった、選ばれなかった子どもたちが愛を求め犯す罪と罰の物語です。
輪るピングドラム
http://penguindrum.jp/
アマゾンPrimeビデオ 配信URL
https://www.amazon.co.jp/dp/B078K687YT/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_vHVpAbH1P36JD
序盤の展開にはいろんな意味でつらいものがあると思いますが、9話まで見ていただけるとありがたいです。そこから物語が動き出します。
そして20話で作品の根幹たるテーマが描かれるので、そこまでは見ていただきたいです。